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戦時中に水戸で育った少年の心には何が映っていたのか?

水戸芸術館開館25周年記念事業「カフェ・イン・水戸R」の関連プログラム「Re MITO 100(リミット100)」についての記事を掲載しています。

「深作欣二監督のことを考えない日は、まずありません。それぐらい好きです」

谷田部智章さんは、「いばらきフィルムコミッション」で映画やドラマ作品のロケ誘致や撮影支援の」仕事をしながら、映画文化を伝えるプロジェクト「310+1シネマプロジェクト(ミトプラスワン)」のスタッフとして活動する、まさに映画漬けの人生を送っている。

「小学校6年生ぐらいから、自分の小遣いを貯めて、一人で映画館に行ってましたね。テアトル西友という映画館で働いたりもしました。当時は年間100本ぐらい、映画館で観ていたんじゃないかな。水戸で上映する映画は全部観ていたと思います」

水戸が生んだ名匠・深作欣二監督との出会いは、高校生の頃。

「テレビで『仁義なき戦い』が放送されて、初めて深作作品を観ました。当時、欣二監督は若者向けの映画を撮っていなかったので、観に行く機会がなかったんですけど、1992年に『いつかギラギラする日』というアクション映画を撮ったんですよ。その作品は”頭蓋骨まで熱くなる”という強烈な惹句(じゃっく=キャッチコピー)で、今でも忘れません。『こんなかっこいい映画を撮る人がいるんだ!しかも水戸出身なんだ!』と思ったのが、のめり込むきっかけでした。しかも、そのとき映画館で観ていたのは僕一人だけ。自分しか観てない、というのも大きかったです」

「1999年に、水戸東映シネマで『仁義なき戦い』の上映会があり、欣二監督が来たんです。その頃ちょうど出版されていた本があって、みんな欣二監督の紹介ページにサインをもらっていたのに、僕だけ『軍旗はためく下に』という戦争映画のパンフレットにサインしていただきました。当時から数えても20年以上も前の映画なんですが、そんな昔のパンフレットを持ってくる人なんていなかったので、『普通とは違うやつが来たぞ』という感じでサインをくださったのを覚えてますね(笑)」

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「欣二監督は、戦時下の水戸で生まれ育ちました。でも、日本の敗戦後、今まで受けていた軍事教育とは真逆のことを教えられるようになり、世の中に対する反発心を強く持ちはじめました。そしてその抗いや水戸で戦争を経験したということが、彼の作品にものすごく影響しているのがわかるんです。世代は全然違うけど、同じ水戸に生まれ育った人間だからこそ、共感できる部分が多いですね。これは、作品の表面だけではわからないことだと思います」

「あまり知られていないけど、欣二監督って、普段は依頼された企画をもとに映画を撮る、いわゆる職業監督だったんです。原作権を買い取って、本当に撮りたくて撮った映画は、実は『軍旗はためく下に』と『バトル・ロワイアル』しかありません。意外でしょ?でも、どの作品にも戦争に対する想いが暗に込められています。職業監督だけど、その中でどうやって自分の想いを込めていくのか、戦争体験から伝えたいことを映画というエンターテインメントにどう昇華させるかを、ずっと模索してきた方なんですよ」

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「欣二監督の遺作『バトル・ロワイアルⅡ』は、僕の映画業界デビューのきっかけになった作品でもありました。欣二監督は、この作品を撮影している最中、まさにその現場で亡くなりました。そして指揮は、息子の深作健太監督に受け継がれることになります。父から子へ、しかも映画監督の世襲ってほとんど聞いたことがないので、それだけでもすごいエピソードなんですけどね。実はこの作品が撮影された2003年というのは、僕が今働いている『いばらきフィルムコミッション』設立の年でもあるんです。フィルムコミッション設立により、エキストラ募集など、一般の人にもロケ関係の情報が入るようになりました。このとき、僕の息子が生まれる直前だったんですが、家族に無理を言って、エキストラとして3日間ぐらい泊まりこみで撮影に行きました。そして、映画公開とタイミングを同じくして、息子が生まれました。僕が生まれたときに『仁義なき戦い』、息子が生まれたときに『バトル・ロワイアルⅡ』が公開…欣二監督から健太監督へ受け継がれると同時に、僕にとっても『父から子へ』リンクする出来事となりました」

_G5A3670-2欣二監督と幼少時代の健太監督

当時のことを、目を細めながら感慨深く語ってくれた。そして話は、現在までの谷田部さんの活動に移る。

「『桜田門外ノ変』という映画が水戸で撮影され、そのオープンロケセットを運営するスタッフとして働いていました。映画の題材が地元の歴史に関連していたので、幕末の歴史を学ぶきっかけになりました。ロケセットで、お客さんに色々と質問されたけど、答えられなかった質問はひとつもありません。それぐらい、誰よりも学ばせてもらいました。そして最近では『永遠の0』を撮影した筑波海軍航空隊記念館で、ガイドをやらせていただいています。資料を調べて勉強するのとは違い、戦争体験者から直接お話を聞けるのはとても大きいですね。それを聞いた僕がお客さまを実際に案内するわけなんですが、戦争を経験したことのない僕が話したことを、70・80歳ぐらいのおばあちゃんが涙してくれたとき、ちゃんと伝わっているんだなと感じました」

「当初は欣二監督のことだけだったのに、『桜田門外ノ変』と『永遠の0』を通して、幕末の歴史や戦争そのものについても知ることができました。そしてこれらは、欣二監督の幼い頃の感情にもつながるんですよ。欣二監督の本質を伝えたいと思っていると、こうやって結びついていくんだと、自分では納得しています。全部欣二監督を通じて学んでいるんじゃないか、とさえ思いますね」

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映画好きが高じた谷田部さんの活動は多岐にわたる。本業のいばらきフィルムコミッションに加え、310+1シネマプロジェクトでの活動、筑波海軍航空隊記念館でのガイド、そして講演も度々…FMぱるるんにも番組を持つという多忙っぷりだ。

「フィルムコミッションでは、作品の誘致によって経済効果を上げたり、茨城の知名度を上げることは大事なことです。でも、地元の人たちに『自分たちの街には魅力があるんだ』と気づいてもらうことの方が重要なんじゃないかなと思います。茨城は実はロケ王国で、撮影隊にとって魅力があるから茨城で撮影するんですよ。まずは『自分の街が、こんなにかっこよく映ってるんだ』ということを知ってもらいたいですね」

「一方で、僕の原点である欣二監督のことももちろん忘れません。僕の夢は、”深作欣二記念館”を水戸につくることです。2009年に、欣二監督の遺品4,000点以上を、奥さまで女優の中原早苗さんと健太監督が水戸市に寄贈してくださったことがあります。北大路欣也さんからの手紙とか、貴重なものばかりなんですよ。ただ、以来きちんと整理はされているけど、あまり活用されていないのが現状です。だから、日本や世界の深作ファンのためにも水戸に記念館を建てて、ここで生まれ育ったんだということを知ってもらいたいですね。欣二監督は、どんなに多忙でもずっと水戸を忘れなかった人なんですから。でも、ただの記念館ではなく、幕末から戦争、そして欣二監督へとつながる水戸の歴史をしっかり伝えられるようにすることが大切です」

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「やりたいことがありすぎて、追いつかないんです(笑)でも、誰よりも楽しく活動している自信があるし、自分がいなくなってからも、息子が僕の友人たちに『お前の父ちゃんかっこよかったよ』って言われるように、やりたいことを一生懸命やっていきたいです」

水戸の歴史を伝える人はいても、水戸の歴史の影響を受けた映画監督がいるということを伝える人はいない。
これほどまでに、ひとりの映画監督に熱き想いを寄せる人が水戸にいても、いいんじゃないだろうか。

_G5A3816-2ロケにもよく使用される茨城県三の丸庁舎

トークと資料解説
■日時:9/26(土)
①トーク:10:00~12:00
②表彰状やトロフィー、蔵書の解説:12:00~12:30
■会場:水戸市立中央図書館
■定員・申込:なし

Re MITO 48.戦時中に水戸で育った少年の心には何が映っていたのか?(ガイドブックデータ)

※Re MITO 100ガイドブックは、水戸芸術館、水戸駅の水戸観光案内所、南町三丁目のまちなか情報交流センター、まちの駅等で無料配布しています。

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住所:水戸市大町3-3-20(水戸市立中央図書館)

TEL:029-226-3951(水戸市立中央図書館)

作るものは作った人と似ているのかを調査する。 まちの名を記したプロスポーツクラブの役割を考える。

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